特定非営利活動法人 標準医療情報センター

TECS第1回から第6回までは該当サイトニュースをご参照ください。第7回と8回は結論分として、 デジタル技術とアナログ技術の相互補完性・関係を解説しております。

現在、ITの世界で注目されているのが、「量子コンピューター」の台頭と、AIとの結びつきによって生まれる新たなデジタル技術の進化である。 第5世代通信「5G」との相乗効果も踏まえれば、「第4次産業革命」の名称もあながち大げさではなくなるが、医療・介護ではこれにどう臨むべきなのか。森下正之・医療シンクタンクNPO主幹研究員が解説する。

量子コンピューターとAIの結合が起きる時期

 デジタル技術が新たな夜明けを迎えていることは確実だが、「日が昇りきった」とまでは言えない状況というのが、筆者の見方である。
 たとえば量子コンピューターの開発状況だが、可能性は各方面で指摘されているものの、実用化までには至っていない。『日本経済新聞』(10月19日付)に「量子コンピューター グーグル実証か、『超計算』人類の手中に」という記事、『ウォールストリートジャーナル』(10月23日付)には「『グーグルが量子コンピューター計算で難関突破達成』、通常の最速スパコンで1万年かかる計算を約3分で行ったと主張」といった記事が踊った。
 一方で、グーグルは慎重な姿勢を崩さない。量子コンピューターは、AIとの結合により第4次産業革命の中心的イノベーションになると予想されているが、それがいつ実現されるかについては何ら言及していないし、マスメディアも、これについて専門家の見立てに安易に飛びついてはいない。また、グーグルの「ライバル」ともいえるIBMは「最速スパコンで1万年かかる計算」について、通常のコンピューターでも2.5日で処理できる──との見解を示している。
 IT業界に浮かれた様子が見られないのは、AI開発が過去に経験した「冬の時代」が大きく影響しているのかもしれない。AI開発は1980年代にブームを迎え、「第五世代コンピューター」と呼ばれ、国家プロジェクトとして570億円を投じたこともあったが、その性能にはまだまだ制約が多く、結局ブームは下火となり、以後20年は「冬の時代」と呼ばれる低迷期を迎えた。
 実際、IBMは「実用化に多くの克服すべき課題がある」と指摘している。たとえば、量子コンピューターが稼働するには絶対零度(マイナス273.15度)に近い極低温の環境が欠かせないことや、演算にあたって、従来のコンピューターとはまったく異なる「量子ビット」という単位を用いることなどがある。特に、量子ビットを操作する「ゲート式」という演算法は、画期的であるだけに実用化にも時間を要する。
 これらがいたずらに失望感を誘発すれば、ふたたび「冬の時代」を招きかねないという懸念があるのだ。そうなれば、異業種を巻き込んだ研究開発にも支障が出かねない。
 量子コンピューターの実用化とAIの結合は、理論的な推察にとどまっているというのが実情 のようだ。

医療界への影響は不透明だが「必ず来る」波

 本稿でも繰り返し指摘してきたように、医療・介護でも「第4次産業革命」は待望されて久しい。文部科学省の科学技術・学術政策研究所が11月に公表した「科学技術予測調査」によると、2032年にロボット・AIによる外科手術の先行実用化、35年に量子計算が実用化されてゲート型量子コンピューターが実現──などと記載されている。一方で、予測が難しい課題として医療分野のデジタル技術の専門人材の不足を挙げる識者は少なくない。ただし、人口減社会の到来などを考えれば、広い視野で流れを捉えるならば、量子コンピューターとAIによるデジタル技術の革新の波が医療界に押し寄せるのは、時間の問題と言えるだろう。

管理競争下の病院はデジタル技術革命をどう迎える

 このようなデジタル技術の急速かつ劇的な進化によって、医療・介護現場ではふたたび(?)「アナログ的な課題」がクローズアップされてくることが推察される。1990年代初めにオランダで提唱された「管理競争」(managed competition)という概念を援用して考察してみよう。
 管理競争とは、一言でいえば「政府に管理された競争」で、設立の多くは自己資金である一方、サービス価格や施設要件が決められた日本の保険医療はその典型である。
 病院医療では公共の目的に適う医療制度を保証することを目的に、医療提供者が医療の価格と質をめぐって競争することを意図した仕組みとしている。医療提供者は、標準治療を継続・安定的に行えば、公的保険者から規定に則って報酬を受け取り、同時に、患者からは良い評判(治療成績や患者の満足度が反映される)を得ることができる。病院は高い評判を維持し、その結果、病床稼働率は高水準を保ち経営も安定し、職員の待遇も好転し医療職の採用や定着も高い水準で推移する──という好循環が期待される。
 ただし、この循環が回るには、いくつかの前提が必要になる。その筆頭にあげられるのが、「看護師のアナログ的要素の充実」なのだ。本稿でも、イギリスNHSの医療機関に勤務する看護師が「患者の代理人機能」を自認している点に触れたことがあるが、まさに、この役割の遂行が重要になる。一例を挙げてみよう。

  • ① 医師が意図する治療方針を患者側に説明し、質問に応え、患者の不安を払拭するように医師と話し合って促すほか、患者の要望を医師に伝えたり、患者の不安の軽減に努めることが求められる。
  • ② 患者側にも守るべき義務があることを理解を徹底させるのも、看護師の役割である。ただしこれは、病院としての対応指針に、患者・家族からの暴言に対する指針を病院として事前にまとめておくことが不可欠である。看護師が一人で患者からのクレーム対応を抱え込まないようにすることも重要だ。
  • ③ 患者が自分の状態をできるだけ正確に医師に伝えることを支援することも、重要だ。一方、医師からの治療の説明や治療方針に関して疑問がある場合はそれを解消し、納得して臨んでもらうよう支援するのも、看護師に欠かせない役割だ。
  • ④ そして、24時間365日、質の高い病棟運営を持続すること。緊密な連絡と引き継ぎを看護師間で行うことが必須である。

 単に制度を用意するだけではなく、現場で従事する医療者の「アナログ」的要素がきわめて重要なのだ。デジタル技術も同様で、これのみを導入しても質の高い医療を提供することは難しいのだ。

アナログ的要素の再認識が重要

 もう少し、アナログ的要素についての考察を続けよう。
 医療・介護とは本来、非常に「人間くさい、アナログ的な」行為であり、そこに(ある意味、非人間的なアプローチである)デジタル技術の導入を進めるには、それだけアナログ的な軸が盤石でなければ、医療・介護サービスそのものが揺らいでしまうのだ。
 ここで言う「質」とは、患者が主観的に感じるものについても重視されなければならず、KPI(Key Performance Indicator:重要業正規成果指標)として、常時測定しておく必要があろう。ちょうど「バイタルサインと同じようなもの」とイメージしてもいいだろう。常に把握しながら、その結果に基づいて医療内容を工夫したり、時には改善したりといったことが求められる。

病院の理念は看護師にどこまで届いているか

 また、KPIはあくまで中間指標であり、その前提として、KGI(Key Goal Indicator)の設定が必ず求められる。「理念」の設定と言い換えてもいいだろう。これがなければ、いくらデジタル技術を取り入れても、とても「管理競争」下で生き残ることは難しい。
 私が支援しているある医療法人で、KGIの設定と共有の状況を把握することを目的に、「理念に関するアンケート調査」を看護師約350人を対象に実施した。すると、回答率は120人、率にすると34%にとどまるという結果が出た。回答内容も「推して知るべし」というものだろう。この回答率の低さに、看護部の中堅管理層は衝撃を受けた様子だった。
 背景を分析した結果、次のような推論に至った。まず、現在在籍している職場(つまり同医療法人の病院)の理念に注意を向ける必要性を認識していないことが考えられる。多くの看護師は、新卒で入職した病院に全キャリアを通じてとどまることはむしろ珍しく、複数の医療機関を経験するほうが一般的である。実際、新卒で入職する先は大半が急性期病院で、同法人の看護師の平均勤務年数は8.7年だという。
 次に、看護師の職能団体である日本看護協会(日看協)の存在も大きいと考えられる。看護師として果たすべき職務を明確に打ち出し、かつ働き方やスキルアップのプログラムなどを微に入り細に入り策定しているので、(看護師本人がその気になれば)専門知識は十分身につけられるし、病院の理念がなくても、職務の遂行にはさほど支障がないわけだ。
 このように、病院で改めて看護業務の理念や教育プログラム、キャリアパスを設定しなくても業務は回ってしまうので、病院のほうもそれに関しては後手に回り、当の看護師自身も、病院の理念や行動プログラムに関心を寄せなくなってしまうのではないかといったことが考えられる。

イギリスが法制化したSDMという概念

 言うまでもないが、「管理競争」下を生き抜く病院にとって、これは好ましい状況ではない。病院の理念を看護師に浸透させ、業務レベルに反映させる仕組みづくりが欠かせない。 理念づくりの参考になるのが、アメリカの『ニューイングランド医学ジャーナル』(12年3月号)で、マイケル・J・バリーという医学博士が提唱した「Shared Decision Making(SDM)」である。論文のタイトルは「Shared Decision Making ThePinnacle of Patient-Centerd Care」、つまり「患者中心の医療ケア」である。論文によると、アメリカの非営利団体とイギリス連邦が「患者中心の医療ケア」という造語を使い始めたことが発端だという。SDMは、12年にイギリスで立法化され、15年にはイギリス連邦でこの考え方が用いられ、法的拘束力も持つようになっている。
 SDMで重要なのが「Personalized Care(個別化医療)」である。すなわち、医療の計画作成、提供される方法などについて、患者自身が選択権とコントロール権を持つという考えの徹底である。
 本稿は、デジタル技術を基盤とした「第4次産業革命」に医療・介護現場が臨む際に、「理念」をはじめきわめてアナログ的な要素が重要になることを考察してきたが、イギリスの医療制度はすでに取り組んでいるとも言える。イギリスと似た医療制度を持つわが国としても、参考にできる部分が多くあると考える。

(病院専門誌「PHASE3」2020年2月号より引用・転載)

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