似た仕組みを持つ日英の一次医療
日本の国民健康保険制度と類似する制度として、しばしば取り上げられるのがイギリスのNHS(National Health Service、国民保健サービス)である。NHSの財源は税方式で賄われているのに対し、日本では保険料を軸としているという点で大きな違いがあるとされてきた。ただ、最近、日本では高齢者の生活保護受給者の急増によって税を投入するケースが増えていることから、両制度は違いよりも類似点のほうがますます多くなっている印象を受ける。それでも随所で違いは見られるし、かつ、日本に不足している、あるいは日本が取り入れるべき工夫もたくさんある。本稿では、そのあたりを考察したい。
まず、両制度の大きな相違点として、一次医療へのアクセスが挙げられる。イギリスは受診する際、「まずGP」が原則である。NHSのもとでの一般診療医(家庭医、GP)は、受け取る報酬が登録された住民の数に応じて決定される。いわゆる「人頭請負制(capitation plan)」が導入されている。この仕組みのために、住民・患者は医者を自由に選ぶ権利がないとされていたが、現在は一定の選択権が与えられており、この弊害は改善されている。
一方の日本は、一般診療所は「自由開業」「フリーアクセス」の原則とそれを支える医師の応召義務(*1)のもと、いつでもどこでも開設できるし、患者も自由に好きなところで受診できる。ただし、イギリスとは逆の弊害が目立ち始めている。いわゆる「コンビニ受診」で、この現象が高機能病院や高度急性期病院でも見られるようになっており、社会問題化しつつある。行政としても手を打つようになっており、大規模病院で外来受診する際、紹介状を持参していない患者については5000〜1万円を上乗せする報酬体系になっているが、やはり対処療法にとどまっている感は否めず、根本的解決にはほど遠いと言わざるを得ない。
(*1) 医師法第19条1項「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」
状況分析: 制度改正に積極的なNHS
制度の仕組みを改善させることについても、イギリスのNHSは積極的で、日本の制度運営とは異なる様相を見せる。2013年4月に健康・介護等法改正案が発効したが、これはまさにその好例で、現在でもさらに進化・発展している。
この大改革は世界的にもよく知られているが、改正の中心は、一般開業医・家庭医(GP)によって構成される民間執行組織(CCG:ClinicalCommissioning Group)が、NHS予算全体の70〜80%に及ぶ額の執行をイギリス厚生省から委任されたことである。さらに補完的に、GPと患者代表が治療や介護の意思決定の中心的役割を果たすよう、制度的にも予算的にも裏づけられている。体制的な仕組みとしては、健康監視組織(Healthwatch)と患者参加グループ(PPG:Patient Participation Group)の存在が挙げ
られる。
NHS予算の80%を執行する民間組織CCG
CCGの考え方は突然生み出されたわけではなく、イギリスの医療制度の進化とともに育まれたと考えるべきであろう。
1997年に誕生したブレア労働党政権のもとで、全イングランド地域にGPを中心としたPCT(Primary Care Trust:一次医療信託組織)が創設された。2009年には152組織に統合、予算の80%程度の執行委任を受け、予算配分はNHSの出先機関であるSHA(戦略的医療当局)が実質的に差配することになった。この体制が、13年4月の大改革によって改められる。PCT/SHA体制は廃止され、全イングランドを212のCCGでカバーする体制となった。1CCG当たり、24万人をカバーする勘定となっている。
予算執行委任の根拠は、「NHS患者の90%以上が一次医療を経てから専門医療機関にアクセスする」という調査結果であった。CCGを統括する委託委員会NHSCB(National HealthService Commissioning Board)が設立され、04年度には210億ポンド(当時の円換算で約2兆8350億円)をCCG経由で一次医療に振り分けている。その内訳は、おおよそ半分をGPに向け、残りを専門的特定疾患(HIVや稀少難治性疾患など)の専門医、薬剤師、歯科医、眼鏡士で分け合っている。
急性期病院も含めると、860億ポンド(約11兆6100億円)に達する。これだけの額をCCGという民間団体に委託している仕組みは、注目すべきだろう。
医師免許の更新制を導入
もう1つ注目したいのは、12年に起きた、イギリスの一次医療において革新的と言える出来事だ。すなわち、医師免許の更新制の導入である。これは、イギリスにおいて過去数十年にわたって討議されてきたが、12年12月に英国医師会(BMA)とイギリス一般医療審議会(GMC)が合意し、医師免許更新制が法制化された。5年ごとに更新・適合させるもので、常に新しい知見に基づき、患者に望ましい診療(Good Medical Practice)を提供することを目的としている。
予算執行の権限を付与するというGPの裁量権を強化する一方で医師免許の更新制を導入したことで、チェック・アンド・バランスを担保したと言えるだろう。このあたりは、英米人の権力に対する基本的姿勢をうかがわせる。
さらに、イギリス国内での医療サービスの品質保証体制の確立をめざし、ケア品質委員会(CQC)と国立医療技術評価機構(NICE)という2つの組織も立ち上げている。トヨタ生産方式と同じ考え方のLean Thinkingの実装が本格化していると言えるだろう。実際、現場では「Get the right care(最初から正しくやる)」という標語をあちこちで垣間見ることができる。
3〜5人のGPからなるGPSY
また、GPの体制にも変化が見られるようになった。GPSY(GP Surgery)がそれである。3〜5人のGPが主たる経営者兼務メンバーで、事務管理者(PM:Practice Manager)や看護師は、医師の2倍以上の人数で構成されている。経営拡大にともなって薬局を敷地内に併設し、数人の勤務医を雇用する形態が一般的だ。ただし、GPが10人以上の大規模GPSYは不人気で、現在ではまず見られない。
GPSYは、医師免許の更新制導入後に広まった。免許を更新するために一定時間を勉強に割く必要があり、かつ、免許の更新時期が異なるGP同士でカバーし合う考えがあったと言われる。GPSYの経営規模を拡大、安定させるために訪問看護も行うようになり、そのために、看護師への権限移譲も進んだ。
さらに、遠隔診断・治療の一環でSkypeTV電話は必需品となっているようだ。これら一連の権限委譲は、患者にとっても予約の煩雑さや診療所へ出かける労力の節約に結びついており、「Win-Win」の状態をつくり出している。
遠隔治療についても付言しておく。筆者が20余年にわたり交流を続けているルース・チェンバース医師が創案し、イングランドはもとより、アメリカやオーストラリア、ニュージーランドで導入が進んでいる「Simple Telehealth FLO」は、患者本人の自己監視と遠隔監視を簡単な機器で行える特徴を持つ。GPSYからの監視結果をもとに、CCGが的確に介入することで、慢性疾患患者の重篤化防止、健康状態の維持を図っている。血圧管理だけでも、ぜんそく、慢性呼吸器疾患、特定の脳血管制認知症、脳血管障害の症状を早期に突き止め、予防にも効果を上げている。医療費抑制の新しいシステムとして注目されている。
4つの理論的裏づけ
この大改革の理論的裏づけとしては、①ABC分析理論、②クリステンセンの価値破壊的理論、③トヨタ生産方式に基づく無駄のない筋肉体質の考え方(Lean Thinking)、④合成の誤謬理論──の4つがあった。①③については、読者諸氏にもおなじみの理論と思われるので、②④について簡単に触れておく。
②は、ハーバード・ビジネススクールのクレイトン・クリステンセン教授が1997年に提唱した企業経営理論(*2)のことである。大企業にとって、新興の事業や技術は小さく魅力なく映るだけでなく、既存の事業を破壊する可能性さえあるように映る。一方で、既存の商品が市場で優位な地位を築いているために、その改良にばかり注力し、顧客の別の需要に目が届かず、新たな特色を持つ商品を売り始めた新興企業の後塵を拝するというものだ。
④は、ABC分析理論の大前提ともなる。各個人が合理的に行動しても、全体としては非合理な行動に陥るという考え方だ。「フリーアクセス」もこの観点から見直すべきとの議論が持ち上がっている。先に触れたように、高度急性期病院の救急部門には軽症患者が殺到し、そのために、本来、こうした部門で治療を受けるべき重症患者が後回しにされる、つまり、フリーアクセスが適切な医療へのアクセスを制限するという事態が起きているのだ。一見、フリーアクセスを制限するように見えるゲートキーパー機能やトリアージ機能の必要性が、必要な医療へのアクセスを確保する手段として議論される所以である。
本稿脱稿直前の6月25日、同日付の日本経済新聞に「かかりつけ医を定額制に 過剰な診療抑制 厚労省検討」という見出しが躍った。内容自体は目新しいものではなく、むしろ、関係当局の意向もうかがわせるアドバルーン的記事という色合いもあった。イギリスが試行錯誤を繰り返し、チェック・アンド・バランスを絶えず意識して長年にわたって取り組んできた手法と比べると、大きな差異を感じざるを得ない。
イギリスの一次医療が、GPの免許更新制とGPSYという診療所形態組織とGPの組合組織CCGがNHSの予算執行権を付与され、GPSYという新たな運営スタイルを構築して権限委譲も進めている。医師の最新医療事情へのキャッチアップを担保する仕組みとして、日本が学ぶべきところは大いにあると考える。
(*2) 同教授は単純化された解決策は複雑疾病の高度治療を要するケースには役立たないことに細心の注意を常に払うべきと警告している。
(病院専門誌「PHASE3」2019年9月号より引用・転載)